「問題は出版より除名処分、共産党『怖い』と思われる」~大山奈々子氏発言(詳報)

2023年1月 日本共産党29回大会における代議員の討議より

問題は出版より除名処分、共産党「怖い」と思われる

神奈川 大山奈々子 代議員

 大会参加の皆さん、私は、横浜市港北区で県議3期目に送っていただいています。今日は入党呼びかけの日常化ついてお話しします。

 私の選挙区は、県議をとるには党勢が弱いということで、案をめぐらし、見える共産党にしていこうと、各支部が駅頭で定例宣伝を組み、地方選さなかには1カ月には33 時間もの宣伝行動を行い、そのこと自体が、党への信頼に つながっているということを、地域まわりのなかで感じています。駅頭での読者拡大や入党経験も珍しくありません。「しんぶん赤旗」見本紙はもちろん、入党申込書を駅頭でお渡しすることも多々あります。

 訪問活動については、軒並み訪問をしながら、人を見て 「折り入って」お願いをする「べタ折り入って」作載がはやっています。つながりへ依拠する「折り入って」だけでは全然足りないうえに、家と家を飛ばしていくのも効率的ではないと思いました。人口36万人も擁する地域なので、選挙までに政治的アプローチを受ける有権者の数自体がごく限られたものとなります。留守宅であっても、1枚のチラシ、1枚の名刺がポストに入る意味は大きいと考えます。ここの「べタ折り入って」行動では、共産党の支持率の何倍もの支持を取り付けることができます。入党経験も2件あります。いちばん省エネだったのは、オートロック対応のマンションで、1階ロビーに突っ立ったまま、番号を押し、そのなかでインターホンの会話だけで、市田さんをご存じで、ずっと党を支持しているという方とつながり、招き入れてもらって、出会って 30 分で入党を快諾していただきました。その後、支部がしっかりとつながりました。

 なにより、この活動は参加した仲間が、「昔とは違う」 と元気になってくれます。そして、みなさんは行動でアパートを飛ばしがちではないですか?アパートを訪ねると、若者がいて、偏見なく対応してくれるということで、仲問の喜びとなっています。従来、防衛の観点から、入党の働きかけは丁寧で慎重であったことは理解しますが、一方で、党への強い思いのある方を取りこぼしてはいないでしょうか。数年前に入党して活躍されているある支部の方が、「40年前から党に入りたかった」とおっしゃいました。この方の声を開いてから、入党を呼びかけないのは失礼だと思うにいたりました。自民党の県議に話を聞いたのですが、1人で、年間200人の党員拡大のノルマをもっているということです。私たちもそれくらいの気概をもって仲間を増やさなければならないのではないでしょうか。よく対象者名簿をつくるといいますが、対象になる人と対象にならない人はどういう違いがあるのでしょうか。働いてもらえそうな人とそれ以外でしょうか。支部にとっては大変であっても、いまの世の中をなんとかしたいと思っている方はすべてを包摂する、多様性を尊重する党であるためにも、対象者を絞らず、いつもバッグに入党申込書を入れてあることが大事だと意思統一しています。市民は、声かけを待っています。

 次に、松竹氏の除名問題で顕在化した党内民主主義の課題についてです。私は、松竹氏の著作をまだ読めていません。「異論だから除名したのではない」という党の見解がありますので、論の中身はこの際問題にはならないという前提でお話をします。

 先に説明した「ベタ折り入って」訪問の重要な意義は、「赤旗」も「後援会ニュース」も読んでいない方の、いわば「国民マジョリティ」の生の声を聴くことができるということです。昨年、地方選前に松竹氏の著作が発刊され、その後まもなく彼は除名処分となりました。大事な時期になんということをしてくれたのかと、松竹氏に怒る仲間の声がありますが、問題は出版したことよりも除名処分ではないでしょうか。何人もの方から、「やっぱり共産党は怖いわね」「除名なんかやっちゃだめだよ」と言われました。わたくしは党の見解をしっかり紹介するわけですが、党内ルールに反していたためだとしても、「こんなことになるなら、将来共産党が政権を取ったら党内に限らず、国民をこんなふうに統制すると思えてしまう」と。党の未来社会論への疑念につながっているわけです。「志位さんに言っておいてね」と言われていましたので、この場所に立たせていただいています。

 「結社の自由」を唱えてみても、党内論理が社会通念と乖離している場合に、寄せられる批判を「攻撃」と呼ぶのではなく、謙虚に見直すことが必要ではないでしょうか。規約に反したことをしていたとしたら、当然、処分もありえるのでしょうが、それが除名なのか。犯罪を犯したわけでもない人に、この処分の決定の速さとその重さについて、疑問をもつ仲問は少なくありません。この党大会にも、その声は多数寄せられているようです。一時期人気を博した「希望の党」が、人心が急速に離れたきっかけは、小池百合子都知事の「排除します」という発言だったことは記憶に新しく、あのとき国民が感じた失意が、いま私たち共産党に向けられていると認識すべきです。除名したことについて、異論を唱えたからではないとくり返しわが党の見解が報じられていますが、そのあとに続く論には、松竹氏の論の中身の問題が熱心に展開されますので、やはり「異論だから排除された」と思わせてしまうんです。この問題について、メディアによる攻撃論がくり返し訴えられますが、攻撃の理由を与えてしまったのは党の判断である以上、その判断に間違いがないというのであれば、いっそうわが党が民主的である証左として、松竹氏による再審査請求を適切に受け止めて、国民の疑念を晴らすべく、透明性をもつて対処することを要望します。

 昨日の報告では、指導部の選出方法や民主集中制について、その見直しを求める論は「『革命論』抜きの組織論だ」と強調されましたが、それならばそういう意見を交換してはいかがでしょうか。除名という形は対話の拒否にほかなりません。排除の論理ではなく、包摂の論理を尊重することは、国際関係だけではなく、政党運営にも求められていると感じています。革命政党が団結を重んじなければならないことは重々承知していますが、だからその厳しさは国民には理解が難しいという孤高の立場ではなく、広く国民に理解される努力をするべきだと考えます。「共産党愛」から発した意見です。党の発展を心から願って発言を終わります。

離党を決める背景となった自分の活動経験

<付録>離党を決める背景となった自分の活動経験について

※この文章は、離党届と共に提出した、自分の主要な活動歴である。支部の仲間とは、こうしたことをいろいろ話す機会がほしかったが、かなわなかった。支部会議の場ではもちろん話す時間はないし、支部会議以外で仲間が集まることはない。しかし、離党するにあたり、自分を支えてきたものが何だったのか、自分を離党の決意に導いた自分の足跡を、不十分だがいくらかでも仲間に伝えたかった。

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 社会問題に私が目覚めたのは大学に入ってからである。それから50数年が経過した。この間、自分の生き方を方向付けた事件がいくつかあった。こうした経験が、今の自分に離党を決めさせた動機となっているのだろうと思うので、それを紹介したい。自分の人生の3分の2以上をかけた共産党をなぜ離党せざるを得ないと考えるに至ったのか、内心の告白に近い記述となってしまったが、支部の方々には自分の思いを伝えたい。

 

1.大学での統一戦線の経験

 私は1970年に早稲田大学文学部哲学科に入学した。1971年に発生した文学部構内での革マル派による川口君リンチ殺人事件に対して、自然発生的に発生した抗議行動と革マル派が牛耳っていた学生自治会民主化運動に、当時2年の自分も加わった。その後、2年間隠れ民青としてノンポリ中核派社青同解放派などなどの人たちと共に、革マル派自治会に代わる新たな自治会の確立を呼びかけ、文学部学生1400名の参加で大会を成功させ臨時執行部を確立した。自分も9人いた臨時執行部の中で唯一共産党系のメンバーとして活動した。その後、執行部のメンバーは革マルのテロに見舞われた。執行委員長、副執行委員長が重傷を負い、私は襲撃から逃れるため、執行部の角印を持って点々と引っ越しを重ねた。臨時執行部は崩壊することになる。

 運動を通じていろんな立場の人たちとの交流があり、考え方の多様性を経験した。そして我々執行部の行動原則は、「暴力は使わない」「徹底した議論を尽くし、一致して動く」だった。これはまさに民主集中制の原則だった。こうした革マル派との闘いという緊迫した条件の中では民主集中制は有効で、当時の執行委員長の判断は的確だった。有能なトップの下で民主集中制は機能した。しかし文学部自治会の民主化という当初掲げた我々の目標は、革マルの暴力に屈した結果、敗北に終わったのだった。

 

2.共産党による学者、理論家の排除

 大学に入りたての頃は、自己の内面をつきつめるヤスパースなどの実存主義に傾倒していたが、学生運動に接する中でマルクス主義弁証法唯物論を知るようになり、マルクスエンゲルスレーニンの著作を読み漁った。私が共産党に加入したのは73年、大学4年生の時だから、今年で入党51年目を迎えるのだ。入党動機はこの弁証法を政治的に適用しながら社会変革を目指しているのが共産党であるということを知ったからであったと思う。

 当時、哲学者で尊敬していたのが古在由重で、その温かで優しい語り口は、私のめざす人物像でもあった。その古在由重が、1984原水協運動が分裂した際に、共産党による原水協人事への介入とそれへの抗議の結果、共産党を除籍された。このことについて、当時、話には聞き疑問に思ったのだが、深く追及せずに来たことが今となっては悔やまれる。この事件は、共産党が学者の立場から理論的に批判や助言をして党を支えてくれる人を失うきっかけとなったのではないかと思っている。とりわけマルクス経済学の立場からの現代の諸課題の解明は、共産党は常に行われなければならないテーマだと思うのだが、東大経済学部ではマル経不要論がこれまで数度出てきているという。それだけマルクス経済学を深めようとする人材がいなくなっているということなのだ。こんなことを反映してか、近年、党中央から理論的な論文は発表されていない。志位委員長は戦前の活動家の英雄談を振り返るだけである。理論的な支えなしに進む共産党は、もはや科学的社会主義の党とは言えないところにまで来ているのではないだろうか。綱領が指し示す未来が官僚主義に陥らず、自由と民主主義が花開く社会であることを、政治・経済的な根拠を持って理論的に解明できなければ、綱領自体が夢物語である。

 

3.解雇撤回闘争での統一戦線

 私が国立の知的障碍者の指導員養成施設で2年間国費をいただいて学んだあと、障がい者指導のいわゆる「エリート」として地元の知的障碍者施設に迎えられたのは1976年であった。しかし登録されているのに実際は存在しない「幽霊」職員を配置し、国から措置される人件費を不当に懐に入れていた理事長を相手取り、労働組合を作ったことが「飼い犬に手をかまれた」と園長に言わしめ、それがきっかけで、1980年に私を含む労組役員3名が解雇された。園長による「飼い犬」発言は自分の誇りを傷つけた。二度と、資本の飼い犬と言われるようにはなるまいと心に誓った。3年間の解雇撤回闘争では、共産党を支持する労組だけでなく、地方労など社会党の方々からも支援をもらい、支援共闘会議が組織され広く統一戦線が作られた。3年間の闘いで解雇撤回闘争は完全勝利し、3人は職場復帰を勝ち取った。運動の広がりは一致点を大事にすることによって作り上げられた。他党派の方々との交流は、自分の考え方に幅と深さを与えてくれたのではないかと思っている。

 

4.労働組合での半日スト

 障碍者施設への職場復帰後しばらくして、医療生協の労働組合の幹部から、うちに来ないかとの声がかかり、1987年に医療生協法人に入職した。労働組合はユニオンショップ制である。当時、労組のトップは生協のトップと意思が通じており、自分を労組の役員にした後は生協の幹部職員へと登用する話が出来ていたらしい。自分は、病院庶務課に課長補佐で入った。その後まもなく労働組合の専従書記長に転出。その後執行委員長を務めた。その執行委員長時代に賃上げ要求に対するゼロ回答が続き、交渉が膠着した。当時の専務理事が組合敵視をはじめ労組の要求はほとんど受け入れられなくなった。自分は、労働組合の最後の手段であるストライキを構えた。ユニオンショップのストライキはあり得ないだろうと共産党からも圧力がかかったが、半日ストは決行された。この労働組合の歴史上初めてのストライキとなった。その結果その専務は、交渉が出来る専務と交代となった。

 ユニオンショップと言えども、労組と経営は裏で手を握ってはいけない。「飼い犬」にはならない決意が半日ストを成功させたと思っている。

 

5.共産党の大衆運動からの撤退

 ある時期から、共産党は大衆運動から手を引き始めた。地区党の中にあった労対部などの専門部会は招集されなくなり、いわゆる民主団体から党活動が切り離された。党の活動は拡大と選挙活動に絞られていった。自分は、共産党こそが大衆運動が抱えている諸課題についてもっと深く把握し、党の地域政策へとつなげていくべきだと考えていたので、この方針転換には大きな不信感を持った。思えば、原水協への党の介入問題と、それへの批判の高まりがそのきっかけになっていたのではないかと思うがよくわからない。

 地域の共産党組織が市民とつながることが出来るのは、大衆運動を通じてであろう。地域の市民団体の幹部は党員が多いのだから、そういう方々を集めて、今何が問題となっているのかを話してもらえば、地域政策などはすぐに出来上がるはずだ。ここの支部にも、市民団体の幹部が居並んでいる。こういう方々の経験、地域住民の声などは、共産党には不要なのだろうか。全国の党員の英知を運動に生かすことが出来れば、すばらしいエネルギーが発揮されると私は考える。これは大衆団体への介入とは違う。だが一方で、そのような機関にはないグループを作り話し合わせることは、分派の形成につながると考えているのかもしれない。今の党中央の一部が考えそうなことだ。

 

6.核燃・原発反対運動における共産党への不信

 2008年に地元の共産党県議が自分ともう一人の活動家を呼んで、核燃反対組織をこの地域に作りたいと相談を持ち掛けた。その結果、この地域に核燃反対組織が出来た。私は事務局長の任についた。しかしこの組織は、その目的に「核燃料サイクル施設の稼働に反対」と「危険な国の原子力政策の転換」を掲げ、いわゆる「脱原発運動」とは一線を画していた。「危険な国の原子力政策の転換」とは、“安全な原子力政策に転換せよ”という意味である。当初自分も、共産党が掲げていたトリウム炉だったら大丈夫、という主張を受け入れて運動を進めてきた。しかし、2011年の福島第一原発の大事故で、その認識は吹き飛んだ。自分は、もはや脱原発を明確に打ち出すべきと主張し、県内の脱原発組織に我々も参加しての共同行動を提案した。しかし当時の共同代表が私の主張を非難、折り合いがつかず、私はその年の総会で事務局長を退任した。退任の理由を私は明らかにしなかったので、不正が陰にあるのかと不審に思った方もいるという。私にとって、この悲惨な事故を目の前にして、県内の多くの原発に反対して運動をしている団体との共同行動をしない、という選択肢はあり得なかった。

 その後自分は、脱原発の県内グループのネットワークの結成に向けた活動に入った。しかしその後、共産党が突如「原発ゼロ政策」を打ち出した。脱原発とは言わないので、そのうちこの政策も変更になるかもしれない。しかしこれは、これまでの態度に対する総括抜きの方針転換だった。2013年の311集会には当該の核燃反対組織も参加したが、少なくとも代表レベルは、それまでの自らの言動に反した行動となったことは自覚しているはずである。世論の動向を見ながら、なし崩し的に方針を転換させて良しとする姿勢は、私の哲学とは全く相いれない。

 

7.自分の経験知見をもとに、もっと党に貢献したかった

 今、共産党員に与えられている任務は、赤旗と党員の拡大である。しかし、これまで書いてきたような様々な出来事の中で、この任務を遂行しようとは思わない。これが出来ないとなれば、あとはやれる仕事はほとんどないに等しい。毎月の会議に出たところで得るものは何もなく、時間の無駄に近い。しかし、自分は共産党に、違う形でいくらでも貢献できたはずなのだ。

 自分は、2000年前半にある方から薫陶を受けて以来、これまでの活動の中で、党外の方々と多彩なパイプを培い、運動の輪を広げてきた。自分が関わり、現在も活動に加わっている市民運動を以下に挙げる。

(※組織名省略)会長、事務局長、事務局長、事務局長、事務局長、事務局長、事務局長、事務局員、事務局員、世話人・事務局員、運営委員、会員・自然観察指導員、幹事、会員、会員、会員、会員、会員、会員、個人会員、個人会員、個人会員、原告訴訟人、原告訴訟人

 これまで自分は、このような多様な人間関係の中で、思想と発想の豊かさを担保し、物事を発想し、運動を提起し、社会を変革するために取り組んできた。とりわけ2015年に医療生協を完全退職してからは、毎日がこうした市民団体の仕事で明け暮れており、それは現在も続いている。

 しかし、この多様な人脈と、そこから得られた経験や知見は、確かに自分の財産だが、同時に共産党の財産でもあると思ってきた。党員各個人が自分なりに蓄積してきたものを活用できる、利用してくれる組織に共産党はなるべきである。

 党員は自分の力が党の政策や活動に反映されることに喜びを感じるのではないのか。しかし、現在の党はそのようにはなっていない。支部会議は、党員が自由に発言し意見交換できる場所であるが、そうした機会は、毎月1回1時間程度に過ぎない。貴重な時間を効率よく使えず、いつもイライラして申し訳なかった。支部会議に出席して良かったと思ったことが一度もなかったことは残念なことである。

 

8.自分の力を利用してくれる人が現れた。本当は共産党に貢献できればいいのだが

 自分の力を利用してくれている方がいる。立憲民主党の地域代表をし、衆議院選挙にも出たこともある方だ。その方とは、2021年10月の衆議院選挙からお付き合いが始まった。地域の市民連合が同年4月に発足し、最初に取り組んだ選挙がこれだった。自分はその方のパンフレットを作成するところから相談を受け手伝った。翌年2022年4月の市長選挙も、地域の市民連合は唯一の革新候補として、その方を推薦し取り組んだ。

 今、来たる衆議院選挙に備えて、この地域では立憲民主党が候補を擁立して選挙準備を進めている。自分にもその方から協力要請があり労をとっている。要請の中身は、候補予定者と友だちになってほしい、いろいろ気にかかることがあれば率直に話せるそういう関係になってほしい、何も分からないから色々教えてあげてほしいということだった。支持拡大の話ではないのだ。それで3度ほど候補者と会い、支援者らと共に懇親を深める機会もあった。自分は候補予定者に、私が事務局長をしている会が毎月発行している県議会の検証チラシを数年分と冊子発行していている冊子を渡して、県議会でどんなことが話されているか、地域の活動家がどんなことを考えているか、まず知ってほしいと言った(候補予定者は地域で生まれ、現在東京在住なのだ)。候補予定者には感謝された。妻は、自分の持っているあらゆる人脈を投入してその方を励ましている。

 誤解しないでほしいのだが、こうした協力は自分が立憲民主党を支持しているということでは全くない。政策的には共産党が断然優れていることは明らかだ。しかし政権交代という同じ目標がある時、協力を求められれば自分の持っている財産はいくらでも与える、というのが自分のスタンスだ。共産党県議の政策秘書をボランティアで手伝うことが出来ればいいのだがと思ったこともあったが、要請されなかった。今の政治情勢では、立憲の候補者をなんとしても当選させることがこの地区の重要な目標であることは疑いがないだろう。その候補者は若く、魅力的で有能な方だ。自民党への対立軸を鮮明にするために、多くの人たちによる党派を超えた協力が必要だ。自分の協力が運動の輪を広げていくものと確信している。(ここの地域は、小選挙区で毎回自民党議席を占めており、市民連合が候補の一本化を野党に求めている。)

 現在の党組織が、個々人のエネルギーを引き出せるような組織に転換することを心から期待したい。

以 上

自分が共産党を離党した理由

2024年3月21日

日本共産党○○地区委員会△△支部長 ◇◇◇殿

J.takenami

離党届

 

本日2024年3月21日をもって、日本共産党を離党します。

尚、前払いしている2024年4月から12月までの党費は返却くださるようお願いいたします。

 

<離党の理由>

 

 自分は大学でドイツヘーゲル哲学を学び、マルクス弁証法唯物論に出会った。弁証法唯物論が自分の思想的基盤となった。マルクスは「すべてを疑え」ということばを好んで使った。自分はこの言葉を行動基準の一つにした。マルクスは「共産主義」を、「つくりだされるべき何らかの状態、現実が則るべき何らかの理想ではない。…現在の状態を止揚する現実の運動である。この運動の諸条件は、今、現に存在している前提から生じる」(ドイツ・イデオロギーマルクス・エンゲルス全集3.p31-32、大月書店)と語った。

 自分は、マルクスが描いた共産主義を具体化しようと、資本主義の克服のために闘っていた日本共産党での活動を通じて、社会を変革することをめざし、1973年に入党し、これまで活動をしてきた。しかし、この間の様々な出来事を通じて、これまで疑ってこなかった共産党の本性を見た。「すべてを疑え」は日本共産党にこそ向けられるべきだった。自分は、このままの組織では、党員の巨大なエネルギーを有効に発揮できず、国民の支持は拡がらず、自ら掲げている「多数者による革命」は夢想に終わると考えるに至った。

 自分の行動基準のもう一つは「自己に正直であること」だ。党の内部からの意見具申による改革は、現在の党規約はそれを保証するものとはなっておらず、異論を深めあうことは不可能だ。自己に正直であろうとすれば規約違反となる。

 今や共産党中央の言動は、自分の思想的基盤とそれに基づく行動基準とは相容れなくなってしまった。この間の共産党の言動を認める自分を許容することはもはやできない。

 

1.2022年3月23日ゼレンスキーの国会演説でのスタンディングオベーション

 

 日本を戦争に巻き込むことになるかもしれないウクライナのゼレンスキー国会演説に、日本政府と共に共産党スタンディングオベーションで応えたのは、共産党の歴史の汚点となった。共産党ウクライナ支持表明は、常任幹部会で議論されたものではなく、志位委員長による独断であったという。

 その結果、どうなったか。本来、憲法9条を持つ日本は、両国の仲介役としてそれぞれの言い分を聞き、紛争を収める立場に立つことが出来たのだ。紛争ぼっ発の経緯を慎重に吟味する間もなく、当事者の一方であるウクライナ側についたことによって、共産党は日本政府のウクライナへの軍事支援政策にも巻き込まれることになった。共産党が主張する、「ロシアはウクライナから出ていけ」は、紛争の停戦を求めるものではない。停戦を求めなければ紛争は続く。共産党が主張する「国連憲章を守る世論の結集」とは何を意味するのか。現実的な力を持たない空理空論を振りかざすことは、紛争を長期化させる効果しかないではないか。ウクライナとロシアの戦争は、もはや第三次世界大戦の瀬戸際まで拡大しているのだ。

 ウクライナを支援すると言い始めれば、軍事支援に勝るものはない。9条を守る立場から非軍事的な物資の支援に限るとする共産党の主張は、国民の世論をリードすることは出来なかった。ウクライナ問題で共産党はどこに着地点を求めるのか。田村副委員長(当時)の「防弾チョッキならいいんじゃないか」発言の撤回も含め、共産党の外交方針は迷走している。自分は、もはや党中央の指導力に信を置けない。

 

2.2022年8月24日の建設委員会論文

 

 2022年8月24日の赤旗に「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か、一部の批判にこたえる」という党建設委員会名の論文が掲載された。端的に言えば、日本で革命を起こすためには、民主集中制の原則にのっとった党運営が必須だというものである。論文は、この「革命」という一般市民にはなじまない言葉をあえて使い、「日本の政治を根底から変革する民主主義革命」とか「革命政党」など綱領でも使われていない言い回しをして、民主集中制の意義を煽った。この論文では党首公選制は派閥を生み出すもとになると断じ、現在の組織運営を正当化した。これ以降、党首公選制を主張することが規約違反のような論調が赤旗紙上で主張されるようになった。松竹氏の除名も、この流れから出てきたものである。しかし、この論文は、党の決定ではない。

 私が共産党の組織論に疑問を持つようになったのは、この論文がきっかけである。規約を調べると様々な問題が浮かび上がってきた。分派を形成しないよう党員は横につながってはいけない。機関に意見を述べる権利はあるが、機関は回答する義務はない。決定に対する反対意見の表明は規約違反となり処分される可能性がある。SNSやメールなどで異論を述べるのはご法度で、党機関はそれを監視している。処分されるかどうかは機関の匙加減だ。選挙とは名ばかりで、機関幹部が作った推薦名簿に基づいて役員は決まる。どれもこれも共産党が言う民主集中制を維持するためにやられていることである。

 

3.2023年、2,3月の除名事件

 

 23年2月、共産党松竹伸幸氏をそして3月に鈴木元氏を除名処分とした。共産党の異論を許さない体質が図らずも表出した事件である。出版の時期を相談したことを分派認定したことはその最たるものだ。また松竹氏が党首公選を主張することをもってそれを規約違反だとしたが、規約のどこにもそんなことは書かれていない。そもそも、松竹氏も鈴木氏も、党を破壊しようなどとはみじんも考えていないのだ。鈴木氏は京都の共産党を大きくして、穀田氏などを当選させてきた立役者である。松竹氏は志位氏の主張する「共産党が政権に入ったときの自衛隊への態度」について、その主張をさらに発展させる立場から論を展開しただけなのである。こうした人物を排除し、赤旗紙上で口を極めて罵倒する共産党中央の一部の姿勢は、これまで党の方針を全面的に信頼し、あまり深く考えたことがなかった自分にとって青天の霹靂であった。

 党中央が二人の除名を規約に則り慎重に検討したものではない、ということが、除名後に行った小池書記局長の記者会見で露呈した。小池氏は、除名された者が再審査請求できると定められている規約55条を知らず記者に指摘され、「それならそうなのでしょう」と言いつくろった。党中央幹部が党規約を熟知し、規約に則り厳密に事を運んでいると思っていたのは幻想だったと実感した瞬間だった。共産党中央の一部幹部が党を私物化し、異論を排除し始めているのではとの思いを強くした。

 

4.29回党大会のハラスメント発言と規約違反の松竹氏除名再審査却下

 

 離党を決めることにした決定打は、29回党大会での田村委員長による結語と山下副委員長による松竹除名再審査の却下である。たまたま自動車の中で流された中継映像を見ることなったのだが、田村氏の般若のような形相で大山奈々子神奈川県議会議員の発言を糾弾した姿は、今でもトラウマになり、新しくできた田村ポスターは見るのもいやだ。田村氏が行った大山氏への人格攻撃は、まごうことなきハラスメント発言である。ハラスメントの指摘に対して、本人はハラスメントではないとの言い訳をしたが、本人の言い訳が成り立つものではない。厚生労働省は、パワハラの定義を「優越的な関係に基づいた人格を否定するような発言」としている。田村氏は大会結語の中で、大山氏を「姿勢に根本的な問題がある」「党としての主体性を欠き、誠実さを欠く」と批判した。「姿勢」や「主体性」「誠実さ」などは大山氏の人格そのものであり、このことがパワハラと指摘されるのは社会の常識である。こんな人を上にいただいて党活動は出来ない。

 松竹氏からの除名再審査の申し立ては、共産党規約55条に基づいた正式なものである。ところが共産党は、松竹氏の問い合わせに対し、審査請求を受理したとの返答はあったものの、審査請求書を大会代議員に配布することもせず、大会で松竹氏に弁明の機会も与えなかった。そもそも審査をどのように行うのかという連絡もなかったのである。松竹氏が提出した審査請求書は、大会幹部団という一部の幹部によって議論され、その結果として「審査請求を却下する」との報告が山下副委員長によって行われた。松竹氏は2万字に渡る膨大な再審査請求書を大会の3か月前に送付している。しかし、大会幹部団がそれを目にしたのは大会当日だった。大会幹部団の一人である高橋千鶴子氏は、とにかく審査請求書を読まなければならないと、膨大な請求書を夜を徹して読み通したそうである。他の大会幹部団はどうしたのであろうか。再審査の審議過程は、あらかじめ中央幹部の一部がそのシナリオを描き、その筋書きに沿って行われた茶番劇にすぎない。民主主義を標榜する共産党の幹部による民主主義的な手続きの蹂躙が、かくもこのようなずさんな形で行われているとは驚くばかりである。規約を蹂躙しているのは、共産党中央だと言わざるを得ない。規約の重みを理解せず、山下報告を拍手で承認した代議員も同じである。松竹氏が起こした除名取り消しの訴訟の結果によっては、拍手した代議員にもその責任が問われることになると指摘したい。

 

5.高橋千鶴衆議院議員団長の常任幹部会からの排除

 

 大会で高橋千鶴子氏が常任幹部会員から降ろされたことも、今の共産党中央は評価に値しない組織だと思わせることとなった。この除名事件後の党中央の対応について、しばしば批判的な意見を述べてきた高橋氏は、大会当日までまさか自分がおろされるとは思っていなかったそうで、役員を外された後も志位委員長から一言も声がけもなったという。つくづく冷たい組織である。代わりに入った土方氏は、松竹派を大会に参加させるなと言う論文を赤旗に発表した人で73歳だ。党中央の人事は、ほんの数人で勝手に決めているのだろうというのが私の推測だ。国家権力と最も近いところで闘い、最も近いところで国民の声を聴き発言をしている衆院議員団長を常任幹部会から降ろすということは、党の人事は、国会で果たしている役割ではなく、党のトップの意向に沿っているかどうかで決められる、ということを示唆している。こうした状況で、次期衆議院選挙で高橋氏を再度国会に送り出すことを自分は躊躇する。高橋さんをわざわざ中央に送り出し、志位・田村のお友達内閣に献身させるのはかわいそうでならない。高橋さんは青森に戻って活動してくれた方がいいのではと思っている。

 

6.党勢の長期低迷を科学的に分析・総括し改善出来ない党中央の無能力

 

 共産党がこの間勢力が減退している問題について、共産党中央は一切総括をしていない。29回大会で出てくるのかと思ったが、全く出てこず、更に輪をかける増やせ増やせ論ばかりだったのには失望した。

 誰もが本当にできると思っていない130%の党づくりを掲げ、毎月檄を飛ばすこのやり方が、科学的社会主義の党のやり方だと言えるだろうか。全国の県委員長、地区委員長はこの方針をどう受け止めているのだろう。除名された鈴木さんは、「中央から給料をもらっている県委員長が逆らえるはずがない。意見を述べることは左遷につながるわけだからそうならざるを得ない」と述べている。党大会の代議員の多くがこうした専従者と議員で占められる組織で、改革の意見が出てくるはずがない。7割方非専従の党員で構成される大会になるような抜本的な組織改革が必要だ。

 この間の大量の減紙と離党者によって、早晩赤旗日刊紙は廃刊に追い込まれる可能性が強い。3月19日付の赤旗紙面には、機関紙活動局長と財務・業務委員会責任者の連名で「日刊紙、日曜版の発行の危機が現実のものになりつつある」との悲壮な告白を伴った訴えがなされた。訴えは、党員に対して「毎月、毎月の読者拡大の努力」「全党のみなさんの大奮闘」を求めている。本当に財務は深刻なのだろう。だが、その財務諸表は党大会では公開されなかった。「知らしむべからず寄らしむべし」の諺を地で行くやり方だ。

 赤旗に限らず、新聞は一般紙も軒並み部数を減らしている。新聞紙の縮小は不可逆的な流れである。しかし本来、党中央が有能ならば、財政危機に陥る前に抜本的な対策がとれたはずである。抜本的な対策を上意下達で有無を言わさず出来るのが民主集中制なのだから。しかし、無能な幹部の結果、そうした対策は取られず、出てきたのは責任を末端に押し付ける拡大拡大の号令のみだった。

 機関紙に頼らない党運営を考えることは急務であり、党中央が方針を出せないのであれば、全党挙げてのオープンな議論が必要なのだ。

 

7.党の秘密警察的官僚体質

 

 規約上、支部以外の党員とつながることは分派と認定される。この間ツイッターで、いろいろ批判的なことを述べてきていたが、私のTwitterは党中央が監視をしており、それが県委員会に報告されたらしく、私の友人に県から電話がいき、私から何か言われていないかどうか聞かれたとの報せがその友人からあった。X(Twitter)上では、下りの地区党会議に出席しようとした代議員が、入口で待ち構えていた地区委員長らの集団に入場を阻止され、X(Twitter)で当人が発信したポストのコピーを示して、「これはあんただろう、調査しているので会議への出席は出来ない」と門前払いを受けたとの事例が報告されている。X(Twitter)は、多くの人が匿名で発信しており、その匿名性が売りでもある。それを秘密警察のように調査をする部門を党中央は持っている。こうした組織が政権につき権力を握ったときのことを考えてみる。この政権が自由と民主主義を発展させることができるとは思えない。

 

8.党員を駒としてしか見ていないこと

 

 3月12日の赤旗に、「今後の青年支部のあり方、活動強化の方向」という記事が載った。全国都道府県組織部長、青年学生部長合同会議が開かれたのだ。その中で中央から、今後青年支部は30歳で居住か職場支部に転籍させるという方針が出されて確認され、「待ちに待った提起だ」と歓迎の声が上がったとの記事である。新たに入党した青年を集めて支部にしているそうだが、それを30歳からは居住、職場で頑張れというわけである。党員を駒としてしか見ていないのだ。だからこんな方針が出てくるのだ。本人の実情に合わせて、活動しやすい場所で頑張ってもらうというのが常識的なやり方だろう。その人の活動しやすい場所が今の青年支部であるならばおいておけばいいではないか。X(Twitter)上では、これでまたやめる青年が増えるのではないかと心配の声がだされている。こういう組織体質を改めなければ党の発展はない。しかしそういう意見をあげるパイプは閉じられている。

 

9.規約を超え、内規で党員を排除すること

 

 この間私は、党員が共産党以外から立候補すれば除籍になることについて、規約に書いていないのになぜそうなるのかを聞いた。回答は半年以上たった後に、明文規定はなく内規によるとのことであった。内規文書はない。結局のところ中央・県党の解釈、意向によって決められているということである。規約に書いていないことを内規による一片の通達で一人の党員を除外する。大鰐と階上の党員を除籍した結果、大鰐の30部の赤旗読者、階上の80部の赤旗読者は限りなくゼロに近くなった。

 除籍された党員と党機関、どちらが党に被害を与えているのか一目瞭然ではないか。党員が個人の資格で立候補する自由さを認めない共産党の体質は、それを認めている自民党と比べられよう。

 

10.まとめ

 

 民主集中制は、指導者が極めて優秀で過ちを犯さない人物がいて、例えばロシア革命時、日本でいえば、戦前の共産党など限られた条件のもとでは有効だと言える。自分も学生運動を通じてその有効性を経験した。命を懸けて、トップの数人の幹部に対する信頼のもとに行動を統一する。家父長的権力を受け入れ、将来の革命を信じて、手足になって働くということである。しかし、民主主義の進展の中で、個の確立が進み、基本的に平和な社会の中で、多様な主張が党員の中でも交わされる現在にあっては、民主集中制は適切な組織形態とは言えない。なにせ、上級機関が間違っていてもそれを修正する機能がないのだから、上部が間違った場合、死なばもろともなのだ。こうした組織に新たな党員を迎えようとは自分は思わない。それは自分の思想信条にも反する。

 民主集中制に代わる自由で民主的な議論を求めれば、それは「革命抜きの組織論」にすぎないという志位議長、田村委員長などの無能な党中央幹部によって、今となっては「民主集中制」は改革の枷となっている。この枷と共に共産党が解体していくのか、この枷を取り払い、オープンな議論が出来る党へと変化していけるのかが今、問われている。

 このままでは、共産党が主張する国民の多数者による革命など金輪際できるわけがない。しかし、少なからぬ共産党員や支持者が、積極的か消極的かはともかく、自分と似たような意見や感想を持っている。こうした方々は、心から共産党の改革を望んでいる。

 自分は、これまで述べてきた主張を党内外に広げていきたいと思っている。しかし、規約上、支部以外でこうした主張することは規約違反とならざるを得ない。自分が自由に主張し、その主張を広げるためには、離党する以外に選択肢はない。今後、自分は自由な立場から、共産党が修正すべきことをいろいろな場を通じて率直に指摘していきたいと思っている。しかし自分の指摘・批判は「反共」ではないことを強く主張しておく。

以 上