自分が共産党を離党した理由

2024年3月21日

日本共産党○○地区委員会△△支部長 ◇◇◇殿

J.takenami

離党届

 

本日2024年3月21日をもって、日本共産党を離党します。

尚、前払いしている2024年4月から12月までの党費は返却くださるようお願いいたします。

 

<離党の理由>

 

 自分は大学でドイツヘーゲル哲学を学び、マルクス弁証法唯物論に出会った。弁証法唯物論が自分の思想的基盤となった。マルクスは「すべてを疑え」ということばを好んで使った。自分はこの言葉を行動基準の一つにした。マルクスは「共産主義」を、「つくりだされるべき何らかの状態、現実が則るべき何らかの理想ではない。…現在の状態を止揚する現実の運動である。この運動の諸条件は、今、現に存在している前提から生じる」(ドイツ・イデオロギーマルクス・エンゲルス全集3.p31-32、大月書店)と語った。

 自分は、マルクスが描いた共産主義を具体化しようと、資本主義の克服のために闘っていた日本共産党での活動を通じて、社会を変革することをめざし、1973年に入党し、これまで活動をしてきた。しかし、この間の様々な出来事を通じて、これまで疑ってこなかった共産党の本性を見た。「すべてを疑え」は日本共産党にこそ向けられるべきだった。自分は、このままの組織では、党員の巨大なエネルギーを有効に発揮できず、国民の支持は拡がらず、自ら掲げている「多数者による革命」は夢想に終わると考えるに至った。

 自分の行動基準のもう一つは「自己に正直であること」だ。党の内部からの意見具申による改革は、現在の党規約はそれを保証するものとはなっておらず、異論を深めあうことは不可能だ。自己に正直であろうとすれば規約違反となる。

 今や共産党中央の言動は、自分の思想的基盤とそれに基づく行動基準とは相容れなくなってしまった。この間の共産党の言動を認める自分を許容することはもはやできない。

 

1.2022年3月23日ゼレンスキーの国会演説でのスタンディングオベーション

 

 日本を戦争に巻き込むことになるかもしれないウクライナのゼレンスキー国会演説に、日本政府と共に共産党スタンディングオベーションで応えたのは、共産党の歴史の汚点となった。共産党ウクライナ支持表明は、常任幹部会で議論されたものではなく、志位委員長による独断であったという。

 その結果、どうなったか。本来、憲法9条を持つ日本は、両国の仲介役としてそれぞれの言い分を聞き、紛争を収める立場に立つことが出来たのだ。紛争ぼっ発の経緯を慎重に吟味する間もなく、当事者の一方であるウクライナ側についたことによって、共産党は日本政府のウクライナへの軍事支援政策にも巻き込まれることになった。共産党が主張する、「ロシアはウクライナから出ていけ」は、紛争の停戦を求めるものではない。停戦を求めなければ紛争は続く。共産党が主張する「国連憲章を守る世論の結集」とは何を意味するのか。現実的な力を持たない空理空論を振りかざすことは、紛争を長期化させる効果しかないではないか。ウクライナとロシアの戦争は、もはや第三次世界大戦の瀬戸際まで拡大しているのだ。

 ウクライナを支援すると言い始めれば、軍事支援に勝るものはない。9条を守る立場から非軍事的な物資の支援に限るとする共産党の主張は、国民の世論をリードすることは出来なかった。ウクライナ問題で共産党はどこに着地点を求めるのか。田村副委員長(当時)の「防弾チョッキならいいんじゃないか」発言の撤回も含め、共産党の外交方針は迷走している。自分は、もはや党中央の指導力に信を置けない。

 

2.2022年8月24日の建設委員会論文

 

 2022年8月24日の赤旗に「日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か、一部の批判にこたえる」という党建設委員会名の論文が掲載された。端的に言えば、日本で革命を起こすためには、民主集中制の原則にのっとった党運営が必須だというものである。論文は、この「革命」という一般市民にはなじまない言葉をあえて使い、「日本の政治を根底から変革する民主主義革命」とか「革命政党」など綱領でも使われていない言い回しをして、民主集中制の意義を煽った。この論文では党首公選制は派閥を生み出すもとになると断じ、現在の組織運営を正当化した。これ以降、党首公選制を主張することが規約違反のような論調が赤旗紙上で主張されるようになった。松竹氏の除名も、この流れから出てきたものである。しかし、この論文は、党の決定ではない。

 私が共産党の組織論に疑問を持つようになったのは、この論文がきっかけである。規約を調べると様々な問題が浮かび上がってきた。分派を形成しないよう党員は横につながってはいけない。機関に意見を述べる権利はあるが、機関は回答する義務はない。決定に対する反対意見の表明は規約違反となり処分される可能性がある。SNSやメールなどで異論を述べるのはご法度で、党機関はそれを監視している。処分されるかどうかは機関の匙加減だ。選挙とは名ばかりで、機関幹部が作った推薦名簿に基づいて役員は決まる。どれもこれも共産党が言う民主集中制を維持するためにやられていることである。

 

3.2023年、2,3月の除名事件

 

 23年2月、共産党松竹伸幸氏をそして3月に鈴木元氏を除名処分とした。共産党の異論を許さない体質が図らずも表出した事件である。出版の時期を相談したことを分派認定したことはその最たるものだ。また松竹氏が党首公選を主張することをもってそれを規約違反だとしたが、規約のどこにもそんなことは書かれていない。そもそも、松竹氏も鈴木氏も、党を破壊しようなどとはみじんも考えていないのだ。鈴木氏は京都の共産党を大きくして、穀田氏などを当選させてきた立役者である。松竹氏は志位氏の主張する「共産党が政権に入ったときの自衛隊への態度」について、その主張をさらに発展させる立場から論を展開しただけなのである。こうした人物を排除し、赤旗紙上で口を極めて罵倒する共産党中央の一部の姿勢は、これまで党の方針を全面的に信頼し、あまり深く考えたことがなかった自分にとって青天の霹靂であった。

 党中央が二人の除名を規約に則り慎重に検討したものではない、ということが、除名後に行った小池書記局長の記者会見で露呈した。小池氏は、除名された者が再審査請求できると定められている規約55条を知らず記者に指摘され、「それならそうなのでしょう」と言いつくろった。党中央幹部が党規約を熟知し、規約に則り厳密に事を運んでいると思っていたのは幻想だったと実感した瞬間だった。共産党中央の一部幹部が党を私物化し、異論を排除し始めているのではとの思いを強くした。

 

4.29回党大会のハラスメント発言と規約違反の松竹氏除名再審査却下

 

 離党を決めることにした決定打は、29回党大会での田村委員長による結語と山下副委員長による松竹除名再審査の却下である。たまたま自動車の中で流された中継映像を見ることなったのだが、田村氏の般若のような形相で大山奈々子神奈川県議会議員の発言を糾弾した姿は、今でもトラウマになり、新しくできた田村ポスターは見るのもいやだ。田村氏が行った大山氏への人格攻撃は、まごうことなきハラスメント発言である。ハラスメントの指摘に対して、本人はハラスメントではないとの言い訳をしたが、本人の言い訳が成り立つものではない。厚生労働省は、パワハラの定義を「優越的な関係に基づいた人格を否定するような発言」としている。田村氏は大会結語の中で、大山氏を「姿勢に根本的な問題がある」「党としての主体性を欠き、誠実さを欠く」と批判した。「姿勢」や「主体性」「誠実さ」などは大山氏の人格そのものであり、このことがパワハラと指摘されるのは社会の常識である。こんな人を上にいただいて党活動は出来ない。

 松竹氏からの除名再審査の申し立ては、共産党規約55条に基づいた正式なものである。ところが共産党は、松竹氏の問い合わせに対し、審査請求を受理したとの返答はあったものの、審査請求書を大会代議員に配布することもせず、大会で松竹氏に弁明の機会も与えなかった。そもそも審査をどのように行うのかという連絡もなかったのである。松竹氏が提出した審査請求書は、大会幹部団という一部の幹部によって議論され、その結果として「審査請求を却下する」との報告が山下副委員長によって行われた。松竹氏は2万字に渡る膨大な再審査請求書を大会の3か月前に送付している。しかし、大会幹部団がそれを目にしたのは大会当日だった。大会幹部団の一人である高橋千鶴子氏は、とにかく審査請求書を読まなければならないと、膨大な請求書を夜を徹して読み通したそうである。他の大会幹部団はどうしたのであろうか。再審査の審議過程は、あらかじめ中央幹部の一部がそのシナリオを描き、その筋書きに沿って行われた茶番劇にすぎない。民主主義を標榜する共産党の幹部による民主主義的な手続きの蹂躙が、かくもこのようなずさんな形で行われているとは驚くばかりである。規約を蹂躙しているのは、共産党中央だと言わざるを得ない。規約の重みを理解せず、山下報告を拍手で承認した代議員も同じである。松竹氏が起こした除名取り消しの訴訟の結果によっては、拍手した代議員にもその責任が問われることになると指摘したい。

 

5.高橋千鶴衆議院議員団長の常任幹部会からの排除

 

 大会で高橋千鶴子氏が常任幹部会員から降ろされたことも、今の共産党中央は評価に値しない組織だと思わせることとなった。この除名事件後の党中央の対応について、しばしば批判的な意見を述べてきた高橋氏は、大会当日までまさか自分がおろされるとは思っていなかったそうで、役員を外された後も志位委員長から一言も声がけもなったという。つくづく冷たい組織である。代わりに入った土方氏は、松竹派を大会に参加させるなと言う論文を赤旗に発表した人で73歳だ。党中央の人事は、ほんの数人で勝手に決めているのだろうというのが私の推測だ。国家権力と最も近いところで闘い、最も近いところで国民の声を聴き発言をしている衆院議員団長を常任幹部会から降ろすということは、党の人事は、国会で果たしている役割ではなく、党のトップの意向に沿っているかどうかで決められる、ということを示唆している。こうした状況で、次期衆議院選挙で高橋氏を再度国会に送り出すことを自分は躊躇する。高橋さんをわざわざ中央に送り出し、志位・田村のお友達内閣に献身させるのはかわいそうでならない。高橋さんは青森に戻って活動してくれた方がいいのではと思っている。

 

6.党勢の長期低迷を科学的に分析・総括し改善出来ない党中央の無能力

 

 共産党がこの間勢力が減退している問題について、共産党中央は一切総括をしていない。29回大会で出てくるのかと思ったが、全く出てこず、更に輪をかける増やせ増やせ論ばかりだったのには失望した。

 誰もが本当にできると思っていない130%の党づくりを掲げ、毎月檄を飛ばすこのやり方が、科学的社会主義の党のやり方だと言えるだろうか。全国の県委員長、地区委員長はこの方針をどう受け止めているのだろう。除名された鈴木さんは、「中央から給料をもらっている県委員長が逆らえるはずがない。意見を述べることは左遷につながるわけだからそうならざるを得ない」と述べている。党大会の代議員の多くがこうした専従者と議員で占められる組織で、改革の意見が出てくるはずがない。7割方非専従の党員で構成される大会になるような抜本的な組織改革が必要だ。

 この間の大量の減紙と離党者によって、早晩赤旗日刊紙は廃刊に追い込まれる可能性が強い。3月19日付の赤旗紙面には、機関紙活動局長と財務・業務委員会責任者の連名で「日刊紙、日曜版の発行の危機が現実のものになりつつある」との悲壮な告白を伴った訴えがなされた。訴えは、党員に対して「毎月、毎月の読者拡大の努力」「全党のみなさんの大奮闘」を求めている。本当に財務は深刻なのだろう。だが、その財務諸表は党大会では公開されなかった。「知らしむべからず寄らしむべし」の諺を地で行くやり方だ。

 赤旗に限らず、新聞は一般紙も軒並み部数を減らしている。新聞紙の縮小は不可逆的な流れである。しかし本来、党中央が有能ならば、財政危機に陥る前に抜本的な対策がとれたはずである。抜本的な対策を上意下達で有無を言わさず出来るのが民主集中制なのだから。しかし、無能な幹部の結果、そうした対策は取られず、出てきたのは責任を末端に押し付ける拡大拡大の号令のみだった。

 機関紙に頼らない党運営を考えることは急務であり、党中央が方針を出せないのであれば、全党挙げてのオープンな議論が必要なのだ。

 

7.党の秘密警察的官僚体質

 

 規約上、支部以外の党員とつながることは分派と認定される。この間ツイッターで、いろいろ批判的なことを述べてきていたが、私のTwitterは党中央が監視をしており、それが県委員会に報告されたらしく、私の友人に県から電話がいき、私から何か言われていないかどうか聞かれたとの報せがその友人からあった。X(Twitter)上では、下りの地区党会議に出席しようとした代議員が、入口で待ち構えていた地区委員長らの集団に入場を阻止され、X(Twitter)で当人が発信したポストのコピーを示して、「これはあんただろう、調査しているので会議への出席は出来ない」と門前払いを受けたとの事例が報告されている。X(Twitter)は、多くの人が匿名で発信しており、その匿名性が売りでもある。それを秘密警察のように調査をする部門を党中央は持っている。こうした組織が政権につき権力を握ったときのことを考えてみる。この政権が自由と民主主義を発展させることができるとは思えない。

 

8.党員を駒としてしか見ていないこと

 

 3月12日の赤旗に、「今後の青年支部のあり方、活動強化の方向」という記事が載った。全国都道府県組織部長、青年学生部長合同会議が開かれたのだ。その中で中央から、今後青年支部は30歳で居住か職場支部に転籍させるという方針が出されて確認され、「待ちに待った提起だ」と歓迎の声が上がったとの記事である。新たに入党した青年を集めて支部にしているそうだが、それを30歳からは居住、職場で頑張れというわけである。党員を駒としてしか見ていないのだ。だからこんな方針が出てくるのだ。本人の実情に合わせて、活動しやすい場所で頑張ってもらうというのが常識的なやり方だろう。その人の活動しやすい場所が今の青年支部であるならばおいておけばいいではないか。X(Twitter)上では、これでまたやめる青年が増えるのではないかと心配の声がだされている。こういう組織体質を改めなければ党の発展はない。しかしそういう意見をあげるパイプは閉じられている。

 

9.規約を超え、内規で党員を排除すること

 

 この間私は、党員が共産党以外から立候補すれば除籍になることについて、規約に書いていないのになぜそうなるのかを聞いた。回答は半年以上たった後に、明文規定はなく内規によるとのことであった。内規文書はない。結局のところ中央・県党の解釈、意向によって決められているということである。規約に書いていないことを内規による一片の通達で一人の党員を除外する。大鰐と階上の党員を除籍した結果、大鰐の30部の赤旗読者、階上の80部の赤旗読者は限りなくゼロに近くなった。

 除籍された党員と党機関、どちらが党に被害を与えているのか一目瞭然ではないか。党員が個人の資格で立候補する自由さを認めない共産党の体質は、それを認めている自民党と比べられよう。

 

10.まとめ

 

 民主集中制は、指導者が極めて優秀で過ちを犯さない人物がいて、例えばロシア革命時、日本でいえば、戦前の共産党など限られた条件のもとでは有効だと言える。自分も学生運動を通じてその有効性を経験した。命を懸けて、トップの数人の幹部に対する信頼のもとに行動を統一する。家父長的権力を受け入れ、将来の革命を信じて、手足になって働くということである。しかし、民主主義の進展の中で、個の確立が進み、基本的に平和な社会の中で、多様な主張が党員の中でも交わされる現在にあっては、民主集中制は適切な組織形態とは言えない。なにせ、上級機関が間違っていてもそれを修正する機能がないのだから、上部が間違った場合、死なばもろともなのだ。こうした組織に新たな党員を迎えようとは自分は思わない。それは自分の思想信条にも反する。

 民主集中制に代わる自由で民主的な議論を求めれば、それは「革命抜きの組織論」にすぎないという志位議長、田村委員長などの無能な党中央幹部によって、今となっては「民主集中制」は改革の枷となっている。この枷と共に共産党が解体していくのか、この枷を取り払い、オープンな議論が出来る党へと変化していけるのかが今、問われている。

 このままでは、共産党が主張する国民の多数者による革命など金輪際できるわけがない。しかし、少なからぬ共産党員や支持者が、積極的か消極的かはともかく、自分と似たような意見や感想を持っている。こうした方々は、心から共産党の改革を望んでいる。

 自分は、これまで述べてきた主張を党内外に広げていきたいと思っている。しかし、規約上、支部以外でこうした主張することは規約違反とならざるを得ない。自分が自由に主張し、その主張を広げるためには、離党する以外に選択肢はない。今後、自分は自由な立場から、共産党が修正すべきことをいろいろな場を通じて率直に指摘していきたいと思っている。しかし自分の指摘・批判は「反共」ではないことを強く主張しておく。

以 上